気がつけば百五十年

歴史




時は一八六一年江戸末期、新撰組の結成、明治の足音がかすかに聞こえだした頃
三味洪庵の前身である大津屋が産声を上げました。

鳥取県松平藩勘定方であった初代の岡島嘉平は、公家の壬生様と上洛し、一八六一年に岩倉具視卿の命を受け
北前船で運ばれてきた昆布やニシン等の食材を京都で安定供給するために商いを始めました。
その時、屋号を後の三味洪庵となる「大津屋」としました。
三味洪庵では、岩倉卿より発行された開業許可証を今も大切に保管しています。

二代目の岡島初造は平安神宮鳥居付近で、
「萩の茶屋」という料理屋を始めました。
初造には三男一女の子どもがいましたが息子達はみな独立し、
長女の岡島とよが三代目として萩の茶屋を継ぎました。
そしてとよの夫が戸川友市です。
とよは料理屋を営む井上家に婿入りした兄に
惣菜・佃煮のノウハウを教えてもらい、現在の味の基礎となりました。

四代目の戸川一男の時、第二次世界大戦が終戦を迎え、
米軍の駐屯地を作る為に平安神宮付近の店に立ち退き命令が出されました。
そして萩の茶屋も移設することになりました。
その後三条白川に工場を構えて中央卸売市場に出店し、卸売りが中心となりました。

こうして百何十年に亘り受け継いできた京都の味をお客様に直接お届けしたいという
五代目現社長戸川博文の思いにより、平安神宮神宮道に帰ってきて商いをしているのが
三味洪庵です。


おぞよとはお菜のことで、京ことばで「おかず」を表しています。
「お雑用(おざつよう)」からきています。
四方を山で囲まれた京都では
新鮮な海産物が手に入りにくく乾物等でおかずを作ることが
ほとんどでした。
その代わりじっくりと手間ひまをかけて
うんと美味しいものにしていったのが「おぞよ」です。
「京のおぞよ」は、三味洪庵の登録商標です。
そこには、今ではあまり聞かれなくなった「おぞよ」を、
より良い原料でより美味しいものにし、
後世に伝えていきたいという強い思いが込められています。

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